競艇で舟券を予想し、的中させることと儲けることは次元が違います。オッズを使った予想法や万舟券投資法であなたも今すぐ勝ち組に!

シンボルの持つ価値

シンボルの持つ価値

甲子園が始まりましたね。

斉藤の母校、愛媛県立西条高校は、残念ながら
県大会で敗れました。ベスト4で涙を飲んでしまいました。

去年の今頃、西条高校応援キャンペーンというのを

やったのを思い出しました。

うらやましい(爆)。

その舞台に母校がいるといないのとでは、

モチベーションが全然違います。

いや、応援キャンペーンをやりたいのではなくて(笑)、

母校がその舞台に立っていた去年が・・・うらやましい

んですわ。

もちろん・・・宇和島東を応援はしてましたけど、

「どこまで本気か?」と言えば、同郷であるという点に
おいてのみ・・・の応援だったので、負けてもそれほど
悔しくはありません(笑)。

ま、これは・・・所属していた団体に対する愛情なんだから
仕方ないですわな。

愛媛県に所属してはいますけど、それ以前に・・・斉藤は
西条高校に所属していたのですから。

で、その舞台に立ってるだけで・・・参加できているだけで
嬉しい、立ててないとうらやましいと感じる半面、ひとつ・・・
矛盾した思いがあります。

それは・・・

1回の表裏の攻撃が終わった時だったでしょうか、

出場している高校の校歌が流れますよね?

なんで・・・?

勝ってないのに・・・?

詳しい経緯と言うか、なんで流れ始めたのかを

詳しくは知らないんですが、最近ずっとそうでしょう?

勝ってもないのに校歌を流すのは・・・なぜなんでしょうか?

斉藤はなんか・・・違和感を感じるんですわ。

いや、その制度を止めろとか、異議を唱えるほどでも

ないんですが、斉藤が現役の高校生の頃は・・・

「勝って校歌を歌いたい・・・」

というのが球児の夢だったはず。

月日が流れ・・・今は、勝ってもないのに

校歌が流れてる。

もちろん選手が整列して歌ってるわけじゃなくて、

BGMとして流れているだけなんだけど・・・

勝ったものだけが校歌を歌う、校歌を流す権利を得る。

負けたものは他校の校歌を悔し涙で聞きながら、

次こそは!と、己自身とチームの未来に目を向ける・・・。

古くは箕島、PL学園、池田・・・最近だと駒大岩見沢とか

済美・・・その当時の強豪チームの校歌というものは、

母校でも何でもないのに、なんとなく歌詞を覚えてる。

・・・これぞ、勝負の世界。

勝った者だけが校歌を歌い、世に存在を知らしめる。

勝負の世界は厳しいのだ。
負けたものに・・・校歌を歌う権利はないのだ。

高校生の頃から、勝負には厳しくあるべきだと思うん

ですわ。

勝てば全てそれでよし・・・と言ってるのではないんです。

勝つだけが全てか?と言っているのでもないんです。

敗者にも弁があり、立場があり、存在理由を無視して

いるのでもないんですわ。

勝った奴だけが偉くて、負けた奴は消えて行くだけ・・・

とか、そういう非情なことを言うつもりもないんです。

そうではなくて、「勝負の世界の厳しさ」がスポイル

されていると感じてるんですわ。

プロ野球と違って・・・負けたからと言って、

活躍できなかったからと言って、年棒が下がるわけでは

ないですし、クビになるわけでもありません。

と言うか、プロは勝てば年棒が上がりますし、

優勝すればボーナスが出ますし、そういう意味で

厳しい世界、金銭的にも厳しい勝負の世界に

いるわけですが・・・

そうじゃなくて・・・飴と鞭じゃないですけど、

子供の野球だからこそ味わえる、ゼニカネじゃない、

純粋な勝負の世界があるはずだと思うんですわ。

その・・・純粋な勝負の世界での栄誉、誉れ、

報酬として与えられていたのが・・・

勝ったものだけが味わえる・・・校歌斉唱。

高校球児に与えられる・・・ひと時のご褒美。

校歌を流す権利とは、勝った者だけに与えられるべき

だと思うんです。

だから・・・ま、歌う権利は今まで通りで良いんですが、

出場記念に自動で流してくれるのは・・・余計なお世話と

言うか、子供(高校球児)が学ぶべき、勝負の世界の
厳しさをスポイルしているような気がするんです。

それに、校歌って・・・そんなに軽い扱いをするもの

ではないんじゃないかと思います。

F-1の世界、日本人のドライバーが表彰台の真ん中に
立ち、校歌・・・じゃなくて国歌が流れる時を誰もが夢見て

いるんです。

柔道なら、当たり前のように日本人が表彰台の真ん中に

立ち続け、表彰式があるたびに君が代が流れ、荘厳な

気持ちと誇りを持って・・・日本人の勝者を賛美したい

と、多くの国民から望まれているのです。

サッカーの国際試合、これから始まる他国との戦争に

赴く代表戦士を称える為に流れているんです。そして

選手自身、国を代表して他国と戦う・・・その誉れと

責任を感じながら・・・歌っているはずなんですよね。

国歌とは、国旗とは、そうあるべきだと思うんですわ。

オリンピックで金メダルを取り、世界に日の丸と君が代が

流れる時、日本人は誇りの気持ちを持って見ているはず

なんですよね。

確かに・・・君が代は天皇個人を称える内容なので、

賛否はあるのかもしれませんが・・・斉藤は賛美します。

先祖を敬うのが当然の日本人ならば、国家の先祖も当然、

敬わなければならない。

国家の先祖とは神であり、その系統として天皇がいるの
だから。

国歌とは、国旗とは・・・

そういう、神聖なものであるべきなのだ。

チャラチャラしたものが入る余地のない、

神聖なものであるべきなのだ。

神聖さの度合いが若干下がるとは言え、
校歌と校旗も同じ意味を持つものだと斉藤は考えます。

だから、神聖なものを「出場記念」として流すのは、

出場者と観客の双方にとってマイナスだと思います。
校歌の価値を下げ、神聖なものを神聖でなくしてしまう。

「ゆとり」とか「思いやり」とかで流すぐらいなら・・・
試合開始前に両校選手がベンチ前に整列して、

サッカーの国際試合のように、試合前に流すべきだと

斉藤は思います。

己の所属している、己の立ち位置を確かめ、

何の為に、誰の為に戦うのか?

・・・そういう決意を確認する為にもね。

お情け?で回の途中で流すより、よっぽどマシだと

・・・斉藤は思います。

多分、絶対、必ず。

追伸:

今日の斉藤の主張は右寄りでしたねぇ(笑)。

もちろんいつも右寄りなのですが、右翼活動家ほど

ではありません(笑)。

国歌の歌詞の内容についてどうこう言うつもりは

ないのですが、斉藤的には良い歌詞だと思います。

ま、良いか悪いかは、好きか嫌いかは・・・個人の

決めることであって、どうであれ「それを強制する」

ことが・・・いけないことだと思います。

追伸:

斉藤が右翼活動家ではない証拠に・・・ゲスな要望も

あります。

出場しただけで、勝ってもないのに校歌が流れる・・・。

そんなのが許されるなら、1マークで転覆しても

舟券を返還しろ!(爆)

コメント

  • 以前は・・・・


    私川之江高校野球部全盛期頃のOBです

    私が行った

    1回目の甲子園の応援は

    惜しくも 7-2 で負けたゲームでした

    (なぜ惜しいかというと7回までは 2-1 で勝ってました)

    校歌は

    勝ったチームがダイヤモンド内で歌った後に

    選手がアルプススタンドの前に着てから

    歌ったような記憶があります



    スタンドの観客入れ替えの時間を短くするために今はそのようにしているのでしょうか???



  • Re:以前は・・・・


    >ダンディーさん

    ・・・アルプスで試合が終わった後で歌うのは、称賛の意とお疲れさんの意ですよね。それは特に問題はないんです。球場に放送される、テレビで全国にテロップ入りで放送される権利が勝者にだけあるべきだと思うんですわ。

    しかし・・・川之江とは。

    昔、決勝で戦いましたよね?
    その時・・・西条が負けた気がします(笑)。

    斉藤はそういう年代ですわ。



認証コード3630

コメントは管理者の承認後に表示されます。

powered by HAIK 7.3.7
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional